気がつけば、私は「仙人のような暮らし」をしている。
山奥にこもったわけでも、瞑想に励んでいるわけでもない。
ただ、ほとんど誰とも話さず、外にも出ず、毎日が淡々と過ぎていく。
パーキンソン病で離職してからというもの、生活は一変した。
これまで働いてきた世界から離れ、ゆっくりと崩れていく体と向き合いながら、私は母が一人暮らししていた実家へ転がり込むことになった。
「実家に戻る」というより、「逃げ込む」という表現のほうが近いかもしれない。
ハローワーク通いの日々 ― 岩内から伊達へ、そして行き場を失う
離職後、最初は岩内管内のハローワークに通って再就職の道を探した。
パーキンソン病を抱えていても、何かしら仕事はあるだろう。
そう思っていたが、現実は甘くない。
その後、実家に戻ってからは伊達管内のハローワークへ通った。
岩内より伊達のほうが求人数は圧倒的に多い。
しかし、応募しても、面接に行っても、うまくいかない。
気がつけば半年、一年と過ぎ、私は仕事探しそのものに疲れ果てていた。
そして、気づいたら「引きこもり中年」の出来上がりである。
頼れるのは、わずかな年金だけ。
65歳にして“仙人生活”が始まった瞬間だった。
外出といえば週一の買い出しだけ ― 運動不足は自覚しているが…
普段外に出るといえば、週に一度の食料品の買い出しだけ。
その他はほとんど家から出ない。
「運動不足なのは分かってる。分かってるけど動けない――」
これが本音だ。
病気と向き合う生活は、意思より体が先に限界を知らせてくる。
歩けばふらつき、座れば震え、立ち上がれば痛む。
結果として、家にこもる時間が増えていく。 まるで“仙人への修行”でもしているような日々だ。
母もまた「家の中の住人」になっていた
一方の母も、状況は似たようなものだ。
高齢となり、外へ出るのが難しくなり、日々をテレビと過ごしている。
特に好きなのはスポーツ中継。 相撲、北海道日本ハムファイターズ、そして大谷翔平。
ただ、私はふと思うことがある。 ――ルール、本当に分かってるのかな?
テレビに向けて「あー!」「なんでよ!」と文句を言っているが、 内容はよく分からない。 それでも笑っているので、まあ元気ならそれでいい。
母には週に一度、ヘルパーさんが来てくれる。 そのときだけは母も他人と会話し、表情が少し明るくなる。
私には「会話相手」がほとんどいない
問題は私のほうだ。 家族以外との会話といえば、2〜3ヶ月に一度かかってくる友人からの電話だけ。
その友人は宮城県大河原に住む女性。 ただし恋愛感情などはまったくない。 大学時代からの長い付き合いで、ただの「残った最後の友人」だ。
電話がかかってくると、彼女は旦那さんや娘さんの愚痴を一方的に話し続け、 私はただそれを聞き、 「ああそうか」「大変だな」と相づちを打って終わる。
これが、私に残されたわずかな“人との接点”。
離婚の影と中国人の元妻 ― 自由を取り戻した日
話は少し遡る。 実は、私は以前、中国人の妻と結婚していた。 しかしその結婚生活は、自由のない日々だった。
外出も制限され、自分の行動が常に監視されているような生活。 いつしか私の稼ぎは中国へ送られ、家計も心も疲れ果てていた。
そして、東日本大震災――。 あの大災害をきっかけに、ようやく離婚することができた。
正直に言えば、その時期にしか離婚できなかった自分が情けない。
しかし同時に、あの決断だけは今の自分をほめてやりたい。
そして今、自己破産手続き中 ― それでも生きていく
長年の結婚生活の中で、気づけば借金が増えていた。 そして今、私は「ベリーベスト法律事務所」に依頼し、自己破産手続きを進めている最中だ。
65歳、離婚、病気、無職、母との同居、そして自己破産……。 改めて並べてみると、人生の“負けイベント”をすべて踏み抜いてきたように見える。
けれども不思議と、今は恐怖や絶望は感じていない。 むしろ、ようやく余計なしがらみから解放され、静かな時間だけが残った。
――仙人の生活とは、案外こういうものなのかもしれない。
母と二人の「静かな時間」こそ、第二の人生かもしれない
老いた母とその息子。 二人だけの家で暮らしていると、 「これから先の人生をどう生きるか」 そんな問いと向き合う時間が嫌でも増える。
しかし、私は最近こう考えている。
大きなことはできない。 人並みの人生を取り戻すこともできない。 けれど――
「せめて母を見送り、自分の人生を静かにまとめていく」。
それが、今の自分に残された“役割”なのかもしれない。
仙人生活の中で見えてきた「小さな幸せ」
朝、窓を開けると風が湖から吹き抜ける。 昼は母と昼食をとり、お互い無言のままテレビを見る。 夜はPCに向かって、今日のことをブログに書き残す。
そんな毎日の中にも、小さな幸せは確かにある。
外で働けない代わりに、静かに考え、静かに暮らす。 失ったものの数より、これから守るべきもののほうがはっきりしている。
それが「仙人のように見える生活」の正体なのだと思う。
最後に ― 今の自分に言い聞かせたい言葉
65歳の私は、もう若くない。 でも、諦め切ってもいない。
これから自己破産がどう進むのかも記録していきたいし、 同じように人生の後半で「やり直し」に挑む人の力にもなりたい。
そして、こうして文章を書く時間があるということは、 まだ人生を語れる余力があるということだ。
「ゆっくりでいい。仙人のように生きてもいい。 それでも前だけを向いていれば、十分だ。」
そう自分に言い聞かせながら、今日もまた静かな一日が流れていく。


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