- イントロダクション
ふるさと回帰を考える人は年々増えている。
都市部から離れ、静かな自然、ゆとりある暮らし、人と人との距離が近い地域での生活を求める人が多いのだ。
その理由は「働き方の変化」「人生後半の暮らし方の再設計」「介護や家族の事情」など、人によってさまざまだ。
そして私自身も――
パーキンソン病を患い、離職し、65歳でふるさとへ戻るという選択をした。
都会にしがみついても仕事が見つからない。
病気は進行する。
ひとりで生活していく自信はなくなる。
そして残された母がひとり暮らしをしている。
すべてを考えた結果、私は5年前、ふるさとへ戻る決断をした。
しかし、移住やふるさと回帰は「戻れば幸せになる魔法」ではない。
還暦でのふるさと回帰は、“遅すぎる挑戦”でもあった。
本記事では、
ふるさと回帰した理由
実家に戻った後の現実
「生涯活躍の街 移住促進センター」を利用するべきだった話
高齢者・初心者移住者におすすめできること/できないこと
65歳移住の成功例と失敗例
パーキンソン病でも移住は可能か?
無職・年金生活での限界
などを、実体験に基づいて丁寧にまとめていく。
ふるさと回帰に悩む人にとって、少しでも参考になれば幸いだ。
- なぜ私は“ふるさと回帰”を選んだのか
2-1. 病気が進行した60代の壁
私はパーキンソン病を患っている。
症状の進行は人によって様々だが、私の場合は以下の症状が強く出た。
手の振戦
歩行の不安定
筋肉のこわばり
疲れが抜けにくい
長時間座れない・立てない
60代前半までは働いていたが、徐々に勤務が続けられなくなった。
「まだ大丈夫」「もう少し働ける」
そう思っていたが、体は正直だった。
最後は会社に迷惑をかける前にと自主退職。
ここから私の人生は大きく転がり始めた。
2-2. 就職困難で見えた現実
離職後、私は岩内のハローワークへ通った。
パーキンソン病であること、60代であること。
その時点で、求人の選択肢は極端に狭まる。
「働きたい気持ち」より「病気がある現実」が優先される世界。
不採用が続き、
“病気を持つ高齢男性が仕事を得るのは、こんなにも難しいのか”
と痛感させられた。
その後、実家へ戻ってからは伊達管内のハローワークに通ったが、結果は同じだった。
2-3. 残された母と、自分の弱さ
65歳の私は、ふるさとへ戻った。
言い方は聞こえがいいが、実際には“戻るしかなかった”というほうが近い。
病気が進む自分
一人暮らしの高齢母
都市部では暮らせない経済状態
年金だけでは不安な将来
ふるさと回帰は、希望ではなく「逃げ場」だったのかもしれない。
しかし結果的に、私はここで生きる道を選んだ。
- 「生涯活躍の街 移住促進センター」を利用しなかった後悔
3-1. ふるさと回帰の“初心者”ほど相談すべきだった
移住初心者は、多くの場合
「勢い・感情」だけで地元に戻ってしまう。
実家があるから大丈夫
なんとか暮らせるだろう
地元だから安心だ
しかし実際は、
地元ほど情報がなく、無知な状態で戻る危険性が大きい。
私もそのひとりだった。
3-2. “生涯活躍の街”の制度を知ったのは移住後
ふるさと回帰支援や移住促進センターは、各自治体が提供している。
しかし私は、移住後に初めてその存在を知った。
相談していれば、
持病があってもできる仕事
高齢者向け住まい
生活支援サービス
相談窓口
地域のコミュニティ
が分かり、ここまで苦労しなかったと思う。
3-3. 初心者ほど「おすすめ」なのは、情報収集だった
今なら断言できる。
移住初心者こそ、まず自治体の移住促進センターに行くべきだ。
勢いで動くのではなく、
“情報武装”が必要なのだ。
- 還暦ふるさと回帰の現実:遅すぎた挑戦
4-1. 身体の変化は残酷
還暦を過ぎると、
「老い」は確実にやってくる。
20代・30代の移住者がYouTubeでキラキラした田舎暮らしを紹介しているが、
60代はまったく別のステージにいる。
庭の草刈りは重労働
除雪は命がけ
車が運転できなくなる不安
病院は遠い
夜間の外出が怖い
若い頃にできたことが、今はできない。
その事実が、ふるさと回帰の難易度を爆上げする。
4-2. 無職・年金生活の現実
無職で帰郷した私は、
車検
固定資産税
光熱費
医療費
食費
などの現実的な支出に追われた。
年金生活は「のんびり」などではない。
むしろギリギリである。
移住を「おすすめ」できない人もいる。
4-3. 最大の問題は“孤独”
移住すると、友人は極端に減る。
地元に帰っても、同年代はすでに町を出ている。
母以外の会話が月に数回、
友人からの電話が2~3ヶ月に一度。
仙人のような生活だ。
孤独は病気よりも心にダメージを与える。
- 体験談:65歳でふるさと回帰した男の5年間
65歳でパーキンソン病を抱え、無職のまま都会からふるさとへ戻った。仕事も見つからず、
体力も落ち、母が一人暮らしをしていた実家へ転がり込む形になった。ふるさと回帰は“希
望”というより“選ばざる道”だったが、実際に暮らしてみると、想像とは違う厳しさがあった。
田舎は静かで過ごしやすい一方、病院が遠く、友人もいない。買い物は週に一度の車頼みで、
孤独は思っていた以上に重かった。
だがこの5年間、悪いことばかりではない。母と過ごす時間が増え、ヘルパーさんの支えもあり、少しずつ
生活のペースが整ってきた。仕事のプレッシャーがないことで心は穏やかになり、自然の中を歩く時間が日
々のリハビリにもなった。都会では気づけなかった「静けさの価値」を知ることができた。
結局、ふるさと回帰は成功か失敗か――それは簡単には決められない。ただひとつ言えるのは、この5年が“
自分を見つめ直す時間”になったこと。遅い移住でも、無理があっても、人は新しい生き方を始められるのだ。
- ふるさと回帰5年で感じた“想像と現実のギャップ”
ふるさと回帰を考える人は、たいてい「こうだったらいいな」という理想を描く。
静かな自然、家の庭でのんびり、家族とゆっくり暮らす、生活費が安い……。
しかし65歳からの移住は“想像のハードル”が高い。
5年間暮らして痛感したのは、次の3つの現実だ。
① 田舎は静かだが「負担」も大きい
田舎は静かで良いが、それは裏返せば
助けを求めてもすぐ来ない
隣人との交流がほぼない
夜は真っ暗で音もない
高齢者だけでは心細い
という意味でもある。
特に冬。
雪が降り積もり、外気は-10度。
除雪をしなければ家の前から一歩も出られない。
若い移住者がSNSで“雪国移住最高!”と言っているのを見ると、
「いや、それは若いからできるんだ」と思う。
60代の身体では、雪国生活は重労働だ。
② 家は広いほど“負担が増える”
実家は昔のままで広い。
しかし広さはそのまま“管理負担”になる。
部屋の掃除
光熱費
冬の暖房代
屋根の雪
家の老朽化
都会では広い家は憧れだが、田舎では維持費との戦いである。
特に薪ストーブも灯油も電気も高く、
年金暮らしでは出費が重くのしかかる。
③「病気持ち移住」は予定通りに進まない
パーキンソン病の症状は、日によって波がある。
調子が良い日でも少し外出しただけで疲れが出る。
悪い日は起き上がることさえ辛い。
移住して「何か新しく始めよう」と思っても、
体が追いつかない。
――これが最大の挫折ポイントだった。
- 還暦移住で痛感した「最低限の準備」
ふるさと回帰は、準備が命だ。
しかし私は何も準備しなかった。
ここでは、私が痛感した“必要だったもの”をまとめておく。
7-1. 健康状態と病院へのアクセス
持病がある人にとって最重要なのが医療環境。
自宅から病院までの距離
通院手段(車・バス・徒歩)
かかりつけ医の専門性
急な悪化時の対応
田舎では専門医がいないことも多く、遠方の病院に通う必要がある。
私の場合、神経内科は室蘭まで通院せざるを得なかった。
町内にも病院はあるが、専門外だと意味がない。
“医療難民”になるのは高齢者移住で最も避けたいことだ。
7-2. 車の維持費と運転能力の問題
田舎は車がないと生活できない。
買い物すら行けない。
しかし、
運転能力の低下
車検
ガソリン代
冬タイヤ
車の維持費
これらすべてが年金生活には重い負担になる。
私のように散財され、自己破産手続きにまで発展した場合はなおさらだ。
7-3. 地域コミュニティへの参加の難しさ
田舎では「人のつながり」が命と言われるが、
65歳で移住するとその輪に入るのは簡単ではない。
同級生は町にいない
地域の活動に体力が追いつかない
新参者として警戒される
コミュニティの仕組みが見えない
「ふるさとに戻れば友達がいる」
というのは幻想だ。
戻ったら誰もいなかった。
これは多くの中高年移住者が直面する現実だ。
- 「生涯活躍の街 移住促進センター」を使わなかった失敗
8-1. 情報ゼロで戻ったことの失敗
私は、「とりあえず戻ってから考えればいい」と甘く見ていた。
しかし、移住は戦略だ。
移住促進センターを利用していれば、
生活支援
地域の人間関係のつなぎ
働ける範囲の職探し
医療との連携
介護保険の使い方
などを事前に整理できた。
戻った後に知って
「なぜ相談しなかったんだ」と後悔した。
8-2. 60代以降の移住は“体験移住”が必須
初心者に最もおすすめなのは
1週間~1ヶ月の体験移住だ。
本当にその地域の冬が耐えられるか?
病院まで行けるか?
買い物の距離はどうか?
生活リズムは合うか?
「住んでみないと分からない」
これが田舎暮らしの真理である。
8-3. 実家があると油断してしまう
実家がある=生活できる
というのは間違いだ。
実家でも
リフォーム
断熱不足
光熱費の高騰
高齢の親との同居
家の老朽化
など課題は山ほどあった。
ふるさと回帰は“0円移住”ではない。
むしろ費用がかかる場合が多い。
- 移住5年で変わったこと、変わらないこと
9-1. 変わったこと
母と過ごす時間が増えた
自然の中での生活リズムができた
無理をしない生活になった
物欲が減った
孤独と向き合えるようになった
9-2. 変わらなかったこと
病気の辛さ
経済的不安
人間関係の狭さ
孤独感の強さ
ふるさと回帰は、人生を劇的に変える魔法ではない。
ただ、“現実と静かに向き合う生活”が始まっただけだった。
9-3. 「失敗か?」と問われれば…
私はこう答える。
「失敗ではないが、甘く考えていた」
都会ではできなかったこと、
都会では気づけなかったことがたくさんあった。
しかし、多くの移住系YouTuberが語るような
「自由で最高の田舎暮らし」
とは違った。
田舎暮らしの“光”と“影”、その両方を抱えて生きている。
- 私の体験談:ふるさと回帰5年の“赤裸々な本音”
ふるさとへ戻って5年。正直に言えば「楽ではない」。還暦を越え、パーキンソン病を抱え、仕事も見つからず、
年金だけで生活する毎日は想像以上に厳しい。若い頃のように体は動かず、買い物や除雪すら負担になる。都会
で働けなくなり、逃げるように戻ったふるさと回帰だったが、田舎は田舎で孤独が大きくのしかかった。友人も
ほとんどおらず、母以外の人と話す機会は少ない。
しかし、それでも“戻ってきてよかった”と思える瞬間もある。母のそばにいられる安心、静かな時間、自分の
ペースで生きられる環境。都会では常に焦りと比較に追われていたが、田舎ではそのプレッシャーから解放された。
仙人のような生活だが、心は以前より穏やかだ。
ふるさと回帰は成功でも失敗でもない。ただ「今の自分に合った生き方」になっただけだと思う。遅すぎる決断だった
かもしれないが、遅くても“自分の居場所”を見つけることに意味がある。今はその静けさの中で、小さな幸せを拾い
ながら生きている。
- ふるさと回帰5年で見えた“孤独と向き合う力”
ふるさとへ戻ってきてから5年。
私は家族以外との接点はほとんどなく、まるで山の仙人のような日々を送っている。
しかし、この孤独には「悪い孤独」と「良い孤独」がある。
◆ 悪い孤独
誰とも話さない日がある
情報が遮断される
行動範囲が狭すぎて世界が小さくなる
悩みを共有する相手がいない
都会の孤独と田舎の孤独は種類が違う。
都会は「人が多いのに孤独」で、
田舎は「人がいないから孤独」だ。
◆ 良い孤独
ふるさと回帰後、私は“良い孤独”にも救われた。
毎日のプレッシャーが減る
無駄な比較がなくなる
静けさが心を整えてくれる
自分と向き合う時間が増える
都会では「戦うこと」が日常だった。
田舎では「生きること」が日常になった。
戦いから降りたことで、心の静けさが戻った。
- パーキンソン病と向き合う“田舎の暮らし”
パーキンソン病と共に暮らすうえで、
田舎の環境は「メリット」と「デメリット」がはっきりしている。
◆ 田舎暮らしのメリット
● 静かな環境は症状を悪化させない
都会では音、ストレス、人混みの圧力が常にある。
田舎では心拍が安定しやすい。
● 歩行リハビリに最適な自然環境
湖畔、公園、道の駅周辺など、
「歩いて気持ちの良い場所」が多い。
● プレッシャーがない
体調の波があるパーキンソン病にとって、
時間に追われない生活は重要だ。
◆ 田舎暮らしのデメリット
● 病院が遠い
神経内科が近くにない場合もある。
“病院難民”になりかねない。
● 交通手段が限られる
具合が悪くても自分で運転して通院。
これは本当に辛い。
● 除雪・家事が負担
雪国では30分の除雪で身体が固まってしまう。
田舎暮らしは“良薬”にも“負担”にもなる。
パーキンソン病という持病を抱える私は、毎日そのことを痛感していた。
- 無職・年金生活者としての現実:生活費と労力の限界
ふるさと回帰後の生活は、決して「楽」ではなかった。
むしろ、都会より厳しい部分がある。
◆ 年金だけでは足りない出費
以下は毎月の平均的な支出だ。
食費 25,000円
光熱費 18,000?30,000円(冬は倍)
車維持費(ガソリン・保険) 20,000円
医療費 8,000~12,000円
通院交通費(高速代含む) 月2~3回で4,000~6,000円
雑費・日用品 10,000円
年金生活は、数字にすればこうだ。
「普通に暮らすだけでギリギリ」
都会とは別の意味で、田舎の生活は出費が多い。
◆ 無職で戻った人への“ふるさと回帰の落とし穴”
移住本でよく見る文言に
「田舎は生活費が安い」
とあるが、60代以降に関しては完全に誤解だと思う。
暖房費が高い
車が必須
病院が遠い
食材は都会より高いこともある
むしろ都会より高くつくことすらある。
◆ 働く場所がない
年金だけでは心細いため、働きたいと思っても…
体力がない
募集が少ない
病気で断られる
65歳以上は“求人の壁”が高い
まったく仕事が見つからない。
こうして、私は完全に
「仙人生活」
に突入したのだ。
- “家族との同居”はメリットと試練の連続
ふるさと回帰した大きな理由の一つに
「高齢の母を支えるため」
という事情があった。
しかし、実際に同居してみると、
良い面と大変な面は半々だった。
◆ 良かったこと
● 母の生活を見守れる
ヘルパーさんは週に一度来るが、
日常の様子を把握できるのは大事だ。
● 一緒にご飯を食べる安心感
人と食事をするだけで気持ちは安定する。
特に高齢の母には重要な時間だ。
● 自分の存在意義を取り戻す
誰かの役に立っている実感がある。
◆ 大変だったこと
● 生活リズムが大きく違う
年齢が離れているほどすれ違いやすい。
介護まではいかなくても、サポートは必要。
● 感情を抑える場面が多い
パーキンソン病で疲れていても、
母の生活を優先しなければならない。
● 家事全般の負担が重い
買い物・料理・掃除・病院付き添い――
毎日がルーティンだ。
親の老いと自分の老いが重なる
「老々同居」は、想像以上の負担だ。
しかし、その中にも救いはあった。
母と暮らすことで、私はまだ“誰かのために生きている”ことに気づけた。
- 振り返り:還暦でのふるさと回帰は本当に“遅かった”のか?
私の本音はこうだ。
「遅かった部分もあるし、遅くなかった部分もある。」
遅かった理由
もっと若ければ働けた
資金にも余裕があった
体力もあり、楽しめた
新しい地域活動にも参加できた
60代移住は“体”がついてこない。
これは事実だ。
◆ 遅くなかった理由
母の近くで過ごせる
都会より静かに暮らせる
無理をしない生活ができる
自分と向き合う時間が増えた
精神面では、田舎暮らしが適していた。
生活は苦しいが、不思議と心は落ち着いた。
- これから移住・ふるさと回帰する初心者への“5つのアドバイス”
あなたが移住を考えているなら、
65歳でふるさとに戻った私から、この5つだけ伝えたい。
① まず「生涯活躍の街 移住促進センター」に相談せよ
移住初心者は、絶対に相談すべきだ。
情報がすべてを左右する。
② 冬の厳しさを甘く見ない
特に北海道に限らず、雪国全般。
除雪は“命がけ”。
③ 病院までの距離は最優先で考える
田舎で大事なのは“病院の位置”だ。
④ 車が運転できなくなる未来を必ず想定する
移住先の将来の「足」をどうするかは極めて重要。
⑤ 孤独と向き合う覚悟を持つ
田舎暮らしの最大のハードルは“孤独”。
ふるさと回帰は素晴らしい選択だが、
決して万能ではない。
準備し、現実を知り、それでも挑戦したいと思った人だけが、
本当の意味で田舎暮らしを楽しめる。
- まとめ:遅くても、無理があっても、生きる場所は自分で選べる
還暦を過ぎ、病気を抱え、貯金もなく、仕事もない。
それでも私はふるさとへ戻る道を選んだ。
正直、苦労は多い。
楽ではない。
むしろ、困難のほうが多いかもしれない。
それでも――
母のそばで生きているという実感、
静かな生活、
小さな幸せを拾って生きていく時間。
これは都会では得られなかったものだ。
ふるさと回帰は遅すぎてもいい。
無理があってもいい。
大切なのは、
「どこで生きるか」より「どう生きるか」だ。
65歳の私は、今ようやくその答えに気づき始めている。
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