私の住む町は、北海道胆振(いぶり)支庁の西部、洞爺湖の北岸に面した地域です。
背後には山並みが続き、正面には青く輝く湖面が広がる――
まさに北海道らしい雄大な景観の中に、日々の暮らしがあります。
2006年3月27日、当時の虻田町と洞爺村が新設合併し、「洞爺湖町」として新たに誕生しました。
実はこの二つの町村、1920年(大正9年)に分村して以来、実に86年ぶりの再統合。
長い時間を経て、再び一つの町に戻ったという歴史を持っています。
全国的にも「洞爺湖温泉」として知られるこの地は、北海道有数の観光地です。
火山と湖が織りなす独特の地形、そして湖畔に並ぶ温泉宿やホテル。
観光シーズンには道内外から多くの旅行客が訪れますが、
私の暮らす北岸の地区はどちらかといえば静かで落ち着いた雰囲気。
観光の賑わいとは少し距離を置いた、穏やかな生活の時間が流れています。
セイコーマートが支える「地域のこし」
このあたりの日用品は、地元の人々の心強い味方――
北海道発のコンビニ「セイコーマート」1店舗に支えられています。
都会のように大型スーパーやショッピングモールはありません。
けれども、セイコーマートは単なるコンビニではなく、
まさに「地域インフラ」としての役割を果たしています。
セイコーマートは、北海道の人口減少を逆手に取り、「地域との共生」を掲げた経営を続けています。
ときにバス待合所のような役割を担い、災害時には避難や補給の拠点になる。
限界集落に近い地域でも、セイコーマートの明かりが灯っているだけで安心感があります。
日配品から地元野菜、パン、惣菜、牛乳まで――ここで生活のほとんどがまかなえるのです。
家庭用品やDIY用品など、もう少し大きな買い物をする場合は、車で20分ほど本町方面まで出かければ揃います。
北海道の暮らしは「車と共にある生活」。
この距離感すら、今では不便と感じなくなりました。
ネットが広げる地方の暮らし
こうした田舎暮らしの中で欠かせないのが「ネット環境」です。
光回線が整備された今、洞爺湖町でも都市部と変わらない通信速度でネットが使えます。
そのおかげで、Amazonプライムや楽天市場などを利用すれば、ほとんどの生活用品が自宅に届きます。
まさに「オンラインが支える地方生活」です。
私自身も、最近はパソコンのHDDをAmazonで購入して、自分で交換しました。
作業の仕方はYouTubeで確認。動画を見ながら慎重に分解し、無事に完了。
昔なら修理に出していたような作業も、今はネットを見ながら自分でできる。
まさに“情報の力”が、地方の暮らしを支えているのだと思います。
料理も同じです。
レシピサイトを見ながら母のためにクリームシチューを作ることもあります。
高齢の母は、あまり多くを食べられませんが、温かい料理を少し口にするだけでうれしそうに笑う。
そんな笑顔を見ると、「ああ、ネットも悪くないな」と感じます。
アマゾンプライムで楽しむ“静かな娯楽”
時間に余裕があるときは、アマゾンプライムで昔の映画を観ます。
最近印象に残ったのは『星降る犬』と『人生の特等席』。
どちらも年老いた男の孤独や優しさを描いた作品で、自分自身と重ねてしまう部分があります。
北海道の夜は長い。
外は雪が舞い、静まり返る中で、映画の音だけが部屋に響く。
そんなひとときが、心のリセットになっています。
観光地に住んでいても、華やかさとは無縁の暮らし。
でも、静かな時間が流れる今の生活が、自分にはちょうどいい。
都会で働いていた頃のように、時計に追われることもない。
ゆっくりとした日常の中で、過去の自分を振り返りながら、新しい価値を見つけています。
ネットがあれば、ギャンブルも“ほどほど”に楽しめる
実は、最近のネットサービスには驚かされることが多いです。
映画や買い物だけでなく、「公営ギャンブル」までオンラインで参加できます。
競馬の勝ち馬投票券なども、ネットで簡単に購入できる時代になりました。
もちろん、あくまで“ほどほど”に。
無理をせず、娯楽のひとつとして楽しむ程度にしています。
北海道の長い冬は、家にこもる時間が増えます。
そんなとき、少しの遊び心や趣味があると気持ちが軽くなる。
ただ、欲を出すと痛い目を見るのはギャンブルも人生も同じです。
「楽しむだけで終われるうちが幸せ」と自分に言い聞かせています。
母と過ごす日々 ― ゆっくりと流れる時間
九十歳を超えた母は、今も穏やかに暮らしています。
歩くのもゆっくりになり、腰もすっかり曲がりました。
それでも、食卓を囲み、昔話を少しする時間が楽しい。
外出が難しい母にとって、今の暮らしはネットを通して世界とつながることでもあります。
私が見つけた面白い動画を見せたり、昔の歌謡曲をYouTubeで流したり。
そんな小さな時間の積み重ねが、親子の絆をもう一度つなぎ直してくれる気がします。
地方移住のリアル ― 静けさの中にある自由
「地方移住」と聞くと、のどかでスローなイメージがありますが、実際には不便も多いです。
雪道の運転、買い物の距離、病院の通院。
それでも、ネットと車があれば、十分に快適に暮らせます。
むしろ、便利さに頼りきっていた都会よりも、自分のペースで生きている実感があります。
洞爺湖町の朝は静かです。
風の音と鳥の声しか聞こえない。
窓を開けると湖面が光り、遠くで観光船のエンジン音が響く。
そんな風景の中で一日が始まります。
PCの電源を入れ、コーヒーを飲みながらAmazonの注文履歴を眺める。
どこにいても、今はネットが世界とつながっている。
「不便」だと思えば不便な場所だけれど、「静けさ」を求める人には最高の贅沢かもしれません。
終わりに ― ネットがつなぐ新しい田舎暮らし
北海道・洞爺湖町の暮らしは、便利とは言えません。
でも、セイコーマートの灯りがあり、車があり、ネットがある。
それだけで十分に成り立つ暮らしです。
むしろ、都会では得られない「時間の余白」がここにはあります。
インターネットがあれば、映画も、買い物も、修理も、学びもできる。
高齢の母をそばで見守りながら、自分のペースで生きる。
それは決して華やかではないけれど、心が穏やかでいられる暮らしです。
静かな湖のように、揺れながらも澄んだ日々。
この洞爺湖の北岸で、私は今日も小さな幸せを感じながら生きています。
北海道の老々介護と冬道通院 ― 九十歳の母と暮らす日々
私の母は九十歳を過ぎました。
いまも北海道の自宅で暮らしながら、二カ月に一度「日本赤十字社 伊達赤十字病院」に通院しています。
私は同居していますが、通院の付き添いや手続きはすべて妹に任せています。
今まで母や妹に散々な不義理をしてきた私には、あまり口を出せる立場ではないのです。
ただ、帰ってきた母を出迎える――それが今の私にできる唯一の“介護”かもしれません。
九十歳という年齢になると、体の動きが目に見えて遅くなります。
腰が曲がり、杖をついてゆっくり歩く母の姿を見ても、いまでは驚かなくなりました。
かつては「もっと早く」と焦る気持ちもありましたが、
今はその歩みの遅さこそ、母が懸命に生きている証のように感じます。
これが、北海道での「老々介護」の現実です。
焦らず、怒らず、ただ見守る――それが親子の新しい関係なのかもしれません。
洞爺湖から伊達赤十字病院へ ― 湖畔を走る通院ルート
母の通院先である伊達赤十字病院までは、道央自動車道を使えば約33km、所要時間は32分ほど。
けれども私はあえて高速道路を使いません。
洞爺湖の東岸を通り、壮瞥町を経由して約29kmのルートを走ります。
時間にして34分。
この「洞爺湖 暮らし」の中では、どんな道も風景の一部であり、急ぐ必要などないのです。
湖畔の道は静かで、朝は霧が立ちこめ、昼は光が水面に反射してまぶしいほど。
母を乗せて走るこの時間が、私にとっての心のリハビリでもあります。
渋滞はほとんどなく、信号も少ない。
ゆっくりと走りながら、季節の移ろいを感じる――それが北海道の通院の風景です。
冬道の現実 ― 北海道で車を走らせる覚悟
とはいえ、冬が来ると話は別です。
「冬道 運転」は北海道で暮らすうえで最大の難関。
雪がなくても夜間は路面が凍結します。
とくに人家の少ない郊外では、夜間除雪が行われない道路も多く、油断すれば命取りになります。
私がまだ寿都町に住んでいた頃、吹雪の中で隣町の蘭越へ向かう途中、ホワイトアウトに遭いました。
左カーブに気づかず、ガードロープに突っ込んだのです。
周囲は田んぼばかりで、幸い人や他車に被害はありませんでしたが、愛車は大破。
翌日からの通勤に困り、代車を借りたものの、まるでポンコツ。
それ以来、北海道の冬道を侮ってはいけないと身をもって知りました。
車と保険 ― 北海道の暮らしに欠かせない備え
それ以来、車選びにも慎重になりました。
現在の車は北海道に戻って三台目。
「車生活 北海道」では、一台の車が命綱です。
買い物も病院も、公共交通機関では間に合わない。
そして、忘れてはならないのが自動車保険です。
以前、雪道で車が溝に落ちたことがありました。
レッカーを呼んでも、混雑していてなかなか来ない。
凍える夜に一人で車内にいたとき、ようやくライトが見えた瞬間の安堵感は今も忘れません。
「保険は安心を買うもの」――そう実感した出来事でした。
母と自分のための再出発 ― 虻田郡への帰郷
私は現在、北海道虻田郡で暮らしています。
寿都郡からの引っ越しは、母の「同居したい」という一言がきっかけでした。
そして、自分の病気――パーキンソン病が悪化したことも理由の一つです。
「高齢母 通院」と「自分の療養」。この二つを両立できる場所を考えた結果、故郷に戻ることにしました。
室蘭の病院を選んだ理由
私自身も定期的に通院しています。
神経内科を探していたとき、倶知安町には神経外科がありましたが、やはり専門は異なります。
近くの洞爺協会病院も候補でしたが、ネットで評判を調べるとあまり良くない噂がありました。
最終的に「室蘭 病院」の中でも信頼できると感じた「内神経クリニック」へ通うことにしました。
車で通う距離ですが、診察内容に満足しています。
今や病院探しもインターネットの時代。
地方では口コミ情報が頼りになります。
「北海道 医療 地方」と検索しても情報が少ない中、ネットがなければ選択肢を見つけるのは難しかったでしょう。
パーキンソン病と向き合う ― 歩けるうちは歩く
パーキンソン病の症状の一つが「振戦(しんせん)」です。
私も北海道に移住する前から手の震えが出ていました。
当時は「アルコールの飲み過ぎ」と誤解されることもありましたが、今ではお酒はほとんど飲みません。
病気は進行しており、歩行も少しずつ難しくなってきました。
それでも、動けるうちは「洞爺湖ウォーキングコース」を歩いています。
湖畔の風は冷たいですが、季節ごとに風景が変わり、気分転換には最適です。
歩くことで少しでも筋力を維持し、心のバランスを保つ。
これは、病と共に生きる私にとってのリハビリであり、希望でもあります。
年金生活と“第二の人生” ― パソコンの前の小さな挑戦
今は年金を受け取る年齢になり、仕事からは離れています。
「シニア セカンドライフ」という言葉が他人事ではなくなりました。
しかし、何もせずに一日が終わるのはもったいない。
PCの前で何か副業ができないか、毎日のように検索しています。
長年、警備や外回りの仕事をしてきたため、机に向かうのは正直得意ではありません。
それでも、これまでの経験を文章にして発信することで、誰かの役に立つかもしれない。
そんな思いで、こうしてブログを書いています。<
若い頃にふらふらしていたことを後悔しながらも、今できることをコツコツと積み重ねたい。
老いても挑戦できることはまだまだある。
この北海道の大地が、それを教えてくれている気がします。
老々介護の先に見えるもの
九十歳の母と六十代の私。
「老々介護」という言葉が、まさに我が家の日常です。
それでも、母と向き合う時間はかけがえのないものです。
若い頃は見えなかった母の強さや優しさを、今になってようやく感じるようになりました。
家族が減り、地域も静かになり、便利さよりも穏やかさを選ぶ暮らし。
車のエンジンをかける音、雪の上を歩く足音、湯気の向こうに見える母の横顔。
それらのひとつひとつが、私の“生きている実感”を支えています。
冬の朝、スタッドレスタイヤを履き替えた車で伊達へ向かう。
母を乗せて、洞爺湖を左に見ながらゆっくり走る。
その横顔を見ながら、私はいつも心の中でつぶやきます。
――「まだもう少し、一緒に生きていこう」。

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