【父とのわだかまりと新興宗教への違和感】

―長男として生きてきた私が抱え続ける心の軌跡―


親との確執や心のわだかまりは、年月が経ったからといって自然に消えるものではありません。とくに「長男」として家を支える立場を背負い、親の期待や家の事情に飲み込まれてきた人ほど、胸の奥に沈んでいる感情は複雑です。

私自身も、父が亡くなって30年以上経った今でも、どこか整理できない気持ちが残っています。今回の記事では、父との関係、新興宗教や「緑風神道大和山」「創価学会」「統一教会」といった宗教団体との関わりを通して感じた違和感、そして私が抱える心の問題と向き合った記録をまとめました。

宗教そのものを否定するのではなく、**「どう向き合うか」「なぜ不安が生まれたのか」**というテーマに焦点をあて、同じような経験を持つ読者の心に寄り添える記事になれば幸いです。


2. 長男という役割がつくり出した「我慢のクセ」

2-1. 期待に応えようとして身についた“顔色を見る習慣”

私は長男として生まれ、幼少期から親の期待を感じて育ってきました。家の農業を手伝い、高校卒業後の2年間も父と共に農作業に従事しました。今思えば、他の選択肢や夢よりも「親の役に立たなければ」という気持ちが強かったように思います。

長男だからこそ、親の様子を伺い、機嫌を損ねないように立ち回るクセが自然と身についていきました。

2-2. 父の病と性格の変化

父は高血圧から右半身が不自由になり、性格も次第に尖っていきました。もともと頑固なところがあったのかもしれませんが、不自由な体への苛立ちが加わり、家庭の空気は常に重く感じられました。

そんな父に対して、私は素直に気持ちをぶつけることもできず、親子なのに“コミュニケーションの空白”ができてしまいました。

2-3. 農家としての苦悩と離農

農業は人手不足、負債の増加、天候不良など、厳しい現実を突きつけてきました。農協から離農を勧められたとき、どこかで「やっと解放される」という気持ちと、「長男としての義務を果たせなかった」という罪悪感が入り混じっていました。


3. 父が傾倒した新興宗教との距離感

3-1. 「緑風神道大和山」との関わり

離農後、父は新興宗教であるといわれる「緑風神道大和山」に傾倒するようになりました。体が不自由になった不安や将来への心細さが、宗教に救いを求めさせたのかもしれません。

私も何度か集会に参加しましたが、どうしても心の底から信じる気持ちにはなれませんでした。「信者になれ」と強制されたわけではありませんが、家族としての“同調圧力”のようなものを感じ、精神的に距離を置きたいと考えるようになりました。

3-2. 宗教との相性は人によって違う

宗教は本来、人の心を支え、生きる力を与えるものです。しかし、私には馴染みませんでした。原因は父との関係に根があり、「父と同じ道を歩むこと=自分を失うこと」と感じてしまったからかもしれません。

3-3. 創価学会や統一教会との接点

20代の頃には、創価学会の勧誘を根気強く受けたことがあります。また、駅前で誘われて参加した1泊2日のセミナーが、後に統一教会と関係していたと知ったこともありました。いずれも、悪い意図があったわけではないのですが、私自身がどこか宗教に対して身構えてしまい、素直に受け入れられない気持ちが芽生えていきました。


4. 宗教団体への警戒心が強くなった理由

4-1. 「家族を巻き込まれる」という不安

父が新興宗教にのめり込んだことは、家族に小さな不安を生みました。「自分まで巻き込まれるのではないか」という恐れが常にあったのです。

4-2. 経済的負担への懸念

宗教法人は税制上の優遇措置があると言われています。私はその仕組み自体に疑問を抱いたわけではありませんが、かつての経験から「お金が絡む活動」が苦手になりました。

そのため、宗教団体だけでなく、共産党系とされる神奈川土建や民主商工会など、集金を伴う組織に対しても距離を置くようになりました。

4-3. 過去の体験が作り出した“拒否反応”

若い頃の宗教との関わり、父との不一致、家計の苦しさ…。それらが積み重なり、宗教に対する警戒心は年々強くなっていきました。


5. 私の体験談 ― なぜ父とのわだかまりが今も残るのか

5-1. 本音で話せなかった悔い

父が亡くなって30年以上が過ぎましたが、一度も腹を割って話せなかったことが、いまでも心に重く残っています。「もっと話してみたかった」「本音をぶつけたら、何か変わっていたのかもしれない」と思うことがあります。

5-2. 宗教を通して父が求めていたもの

体が不自由になった父にとって、宗教は“よりどころ”だったのかもしれません。私はそれを理解せず、距離を置くことしかできなかった。その罪悪感が、私自身の中に残るわだかまりの正体なのだと思います。

5-3. 時間が経って見えてきたこと

今になって振り返ると、父の苦しみに寄り添う余裕が当時の私にはありませんでした。お互いに本音を言えず、すれ違ったまま終わってしまった。その経験が、私にとって人生の大きなテーマとして残っています。


6. まとめ

父との関係、新興宗教との距離感、「緑風神道大和山」や「創価学会」「統一教会」との接点は、私の人生観に深く影響してきました。宗教を否定するのではなく、**「自分にとって合う・合わないは必ずある」**という視点を持つことが大切だと感じています。

父の選んだ道と私の選んだ道は違いましたが、それぞれに理由があり、背景があります。わだかまりが完全に消えることはないかもしれません。しかし、こうして言葉にして整理することで、少しずつ前に進む力を得られるのではないでしょうか。

私の体験が、同じように悩む人の心の整理に役立つことを願っています。


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