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【実録】震災で「放射能が怖い」と消えた中国人妻 | 中国人の元嫁が残していった“負の遺産”と現在の戦い

【実録】震災で「放射能が怖い」と消えた中国人妻。彼女が帰国後に要求してきた「ビザ延長」の裏には、私の金で現金購入されたマンションがあった。

日本中が未曾有の混乱に陥る中、私の妻は「放射能が流れてくる、怖い」と言い残し、着の身着のまま中国へ帰国した。あれから10年以上、彼女は行方不明のままだ。 だが、この話は単なる「震災による離散」ではない。彼女が消えた後、共通の知人を通じて突きつけられたのは、「ビザをもう3年延長してほしい」という厚かましい要求と、信じがたい事実だった。彼女は私の知らないところで、私の稼ぎをすべて中国へ送り、向こうでマンションをキャッシュで購入していたのだ。 最初から騙されていたのかもしれない。「在留資格がある」という嘘から始まった結婚生活。外国人研修生ビジネスの闇。そして震災を利用した完全犯罪のような逃亡劇。私の人生と資産を食い尽くした中国人妻との、戦慄の記録をここに公開する。

嘘から始まった結婚生活――「オーバーステイ」の隠蔽

私が彼女を紹介された時、仲介者は確かにこう言った。「彼女はちゃんとした在留資格を持っているから安心だ」と。 当時、真面目に仕事をしていた私は、その言葉を疑いもしなかった。しかし、蓋を開けてみれば現実は無惨なものだった。彼女はオーバーステイ(不法滞在)の状態だったのだ。

本来なら、その時点で手を引くべきだった。法を犯してまで日本に居座る人間を、人生のパートナーにするリスクを考えるべきだった。だが、情が移っていた私は、多大な手間と暇、そして費用をかけて彼女の在留資格(配偶者ビザ)を正規のものへと書き換えさせた。「これで彼女も恩義を感じ、日本人として共に生きてくれるだろう」。そんな甘い期待は、のちに粉々に打ち砕かれることになる。

彼女は頑なに日本国籍への帰化を拒んだ。「将来は中国で暮らす」。それが彼女の口癖だった。今思えば、それは「日本で稼げるだけ稼ぎ、最後は故郷へ富を持ち帰る」という、最初から揺るぎない決意表明だったのだ。私はそのサインを、単なる望郷の念だと勘違いしていた。私の警戒心のなさが、すべての悲劇の入り口だった。

機能しなかった「ビジネスパートナー」と審査官の不気味な助言

当時、私は仕事で中国人研修生の受け入れ事業を始めていた。中国人の妻がいれば、言葉の壁を超えて、研修生たちの良き理解者となり、事業の強力な戦力になってくれるだろう――そんな計算もあった。

しかし、現実は違った。彼女は研修生の面倒を見るどころか、何の役にも立たなかった。そればかりか、私の事業においてトラブルメーカーとなり、ついにはある研修生が失踪するという事件まで引き起こした。この失踪事件が決定打となり、私は研修生事業から手を引かざるを得なくなった。

この事業を通じて、忘れられない記憶がある。研修生を受け入れる際の入国管理局(あるいは関連団体)の審査官の言葉だ。 彼は書類を見ながら、私にこう言い放った。 「うまくやって、儲けなよ」 耳を疑った。公的な立場の人間が、研修生制度を「搾取のシステム」として容認し、私に不正やピンハネを推奨するかのような口ぶりだったのだ。この国の外国人受け入れ制度の腐敗を垣間見た瞬間だった。 そして皮肉なことに、私の妻もまた、私という「日本人ホスト」を「うまくやって、儲ける」対象としてしか見ていなかったのだ。審査官のあの薄汚い言葉は、私の家庭内で起きていた現実そのものだった。

2008年の不可解な更新――なぜ彼女は永住権を取らなかったのか

時計の針を少し戻そう。2008年、彼女の在留資格更新の時期のことだ。 結婚生活も数年が経過し、要件を満たしていたため、私は「永住権の申請ができるよ」と彼女に伝えていた。永住権を取れば、更新の手間もなくなり、日本での身分は安定する。普通の感覚なら喜んで申請するはずだ。

しかし、彼女は私に何の相談もなく、勝手に入国管理局へ行き、永住権ではなく通常の「期間更新」の手続きを済ませてしまった。 「なぜ?」 当時、私は首を傾げたが、深く追求しなかった。だが、今ならわかる。永住権の審査は厳しい。素行や納税状況、資産状況などが丸裸にされる。彼女には、私に知られたくない、あるいは入管に知られては困る「何か」があったのではないか。 あるいは、もっと単純な理由かもしれない。「永住権」を取るということは、日本に骨を埋める意思表示だ。彼女には最初から、そんな気はさらさらなかったのだ。いつか中国へ帰るその日まで、とりあえずのビザがあればそれでよかったのだ。

 

 

3.11の逃亡――放射能は「最高の口実」だった

そして運命の2011年3月11日。東日本大震災が発生した。 原発事故のニュースが流れると、彼女のパニックは常軌を逸していた。「放射能が流れてくる!」「ここにいたら死ぬ!」と叫び、中国の実家からの帰国命令も相まって、彼女はあっという間に荷物をまとめ、日本を飛び出した。

私は止めたが、彼女は聞く耳を持たなかった。まるで、この時を待っていたかのような素早さだった。 震災直後の混乱期、多くの外国人が日本を去った。だから私も、彼女の行動を「一時的な避難」だと信じようとした。「落ち着いたら戻ってくるだろう」。そう思っていた。

しかし、彼女からの連絡は途絶えた。 翌2012年、彼女の在留資格(ビザ)の期限が切れる年が来た。「どうせビザが切れる頃には連絡してくるだろう」。私は腹をくくって待っていた。日本に戻りたいなら、私の協力なしに更新はできないからだ。

予想通り、連絡は来た。だが、それは私の想像を絶するルートと内容だった。 彼女本人ではなく、共通の友人が私の前に現れ、こう言ったのだ。 「彼女のビザ、もう一度、3年延長してほしいと言っている」 本人は姿も見せず、代理人を使っての要求。しかも、別居状態で実体のない結婚生活に対し、最長の「3年」を要求する図々しさ。 私は怒りで震えた。「ふざけるな」と即答した。震災で夫を置いて逃げ出し、1年も音沙汰なしで、ビザだけ寄越せ? そんな都合のいい話が通るわけがない。

発覚した真実――私の稼ぎはコンクリートに変わっていた

ビザの延長を断ったその時、その友人から漏れ出た言葉が、私にトドメを刺した。 友人は、彼女の中国での生活ぶりをポロリと漏らしたのだ。 「彼女、向こうでマンション買ったみたいだよ。キャッシュで」

時が止まった。 キャッシュで? マンションを? 彼女は日本で働いていなかった。研修生事業の手伝いもろくにせず、稼ぎなどなかったはずだ。では、その大金はどこから出たのか? 答えは一つしかない。私が汗水垂らして働いた金だ。 審査官に「儲けなよ」と言われた事業の利益も、日々の労働の対価も、私が気づかないように少しずつ、あるいは大胆に、中国へ送金されていたのだ。「詳しく報告されていない」売上や経費の中に、彼女の懐へ消えた金がどれほどあったのか。 私は「夫」ではなく、ただの「送金マシーン」だった。 彼女にとっての「日本での生活」は、中国で優雅に暮らすための原資を稼ぐための出稼ぎ期間に過ぎなかったのだ。

 

高い授業料を払って得た教訓

私はビザの延長を拒絶した。これ以上、犯罪の片棒を担ぐような真似はご免だ。 それ以来、彼女とは完全に連絡が途絶え、行方不明となっている。おそらく、中国のあのマンションで、私の金でのうのうと暮らしているのだろう。

これから国際婚を考えている人、あるいは外国人材ビジネスに関わろうとしている人に伝えたい。 「在留資格があるから安心」という言葉を信じるな。 「いつか日本人になる」という言葉を期待するな。 そして、自分の資産と通帳からは、一瞬たりとも目を離してはいけない。

言葉の壁や文化の違いではない。そこにあるのは、冷徹なまでの「計算」と、善意を踏みにじる「悪意」だ。 震災から10年以上が経った今も、私はまだ、この「曖昧な喪失」と「明確な搾取」の事実に、心の整理をつけられずにいる。ただ一つ確かなのは、二度とあのような愚かなお人好しには戻らないということだけだ。

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